さがの日々

佐賀市で暮らす筆者の主に食に関するブログです

失われた日本 「古代史」以来の封印を解く

今日は薄曇り。

どうも最近多い、

白いベールが掛かったような青空。

そんな佐賀市

今日は市立図書館でこれらを。

「失われた日本 吉田武彦著」

「秀吉の朝鮮侵略 北島万次著」

この「失われた日本」に非常な感銘。

私の乏しい知識では、

真意から外れてしまうかも知れませんが、

私なりに要約すれば、

古代、邪馬台国北部九州に位置し、

これを次いだ「倭」とは、

首都を太宰府に置くいわば九州王朝。

当時の中国や韓半島と交流さらに交戦していたのは、

一般に教えられている、畿内大和政権ではない。

「倭」が「日本」になったのではなく、

「倭」と「日本」は別の国。

本の中には、吉野ケ里遺跡の記述もあるのですが、

こちらは、大陸から来るであろう仮想敵の

有明海北側から侵攻した場合の要となる要塞都市。

吉野ヶ里のような環濠集落が、

首都である太宰府を守るように点々と線を構成していたとあります。

記述には、近代国家形成の為、

皇国史観の必要性は認めつつも、

「近畿天皇家の淵源は、悠遠なるいにしえなどではない。

八世紀はじめの「701年」以降である。それ以前は、「倭国

すなわち九州王朝の一分派 p179」

これは世界史から見れば何ら不思議のない事。

されど明治以降の歴史常識からすれば一大転換とあります。

一般的な考古学見地での説の信憑性は、

素人の私にはうかがい知れませんが、

北部九州に住む者として自然と受け入れられる感覚。

韓半島さらに中国との距離的近さを考えれば、

おそらく「地の近さ」と共に「血の近さ」もあるはずで、

皇国史観イデオロギー」からではなく、

アジア的見地から日本の歴史さらに、九州の歴史。

それらを捉え直す良い機会。

この21世紀初頭の混乱。

遠い過去に解決する答えがある気が。


失われた日本 「古代史」以来の封印を解く

吉田 武彦著

原書房

1800円+税