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さがの日々

佐賀市で暮らす筆者の主に食に関するブログです

沈黙-サイレンス- 総論

映画

今日は曇り時々軽い雨。

15℃を超える外気温。

暖かさを感じた佐賀市。

夜になってもさほど変わらず。

 

今日は仕事が休み。

久しぶりに読書。

沈黙

この小説版「沈黙」と、

映画版「沈黙」はほぼ変わりなく、

どちらかといえば、

小説版の方が主要登場人物、

特にキチジローの心の動き、

ロドリゴ神父の心の動きが、

理解しやすい気がします。

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以下公式サイトより

私がこの作品、

特に映画版で感じた事は、

「日本」という存在。

 

1つ目は、

パライソ。

これは「天国」の意なのですが、

映画版より小説版の方が理解しやすい気が。

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弾圧され、

投獄され、

踏みにじられ、

体制に殺される庶民は、

死したら天国に行けると信じている。

 

キリスト教の言う天国とは、

そういう形で存在するのではないと、

ロドリゲ神父が言おうとし口をつぐむ場面も。

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虐げられ虫けらのように

生き死んでいく者達に言えはしない・・・・

 

それともうひとつ。

通詞との問答とイノウエ様との問答。

そしてフェレイラとの問答。

これらは小説版より

映画版の方が分かりやすい。

と言うより、

イッセイ尾形氏と浅野氏の演技が

気魄こもっている。

 

ただの水掛け論とは違う・・・・

 

ただフェレイラとの問答は、

やや小説版が詳しく語られています。

 

「そうではない。

 この国の者たちがあの頃信じたものは

 我々の神ではない。彼等の神々だった。

 それを私たちは長い間知らず、

 日本人が基督教徒になったと

 思いこんでいた」

 

「デウスと大日(だいにち)と混同した日本人は

 その時から我々の神を彼等流に屈折させ変化させ、

 そして別のものをつくり上げはじめたのだ。

 言葉の混乱がなくなったあとも、

 この屈折と変化とはひそかに続けられ、

 お前がさっき口に出した

 布教がもっとも華やかな時でさえも

 日本人たちは基督教の神ではなく、

 彼等が屈折させたものを信じていたのだ・・・・」

 

「日本人は人間とは全く隔絶した神を考える能力をもっていない。

 日本人は人間を超えた存在を考える力を持っていない」

 

「基督教と教会とはすべての国と土地をこえて真実です。

 でなければ我々の布教に何の意味があったろう」

 

「日本人は人間を美化したり拡張したものを神とよぶ。

 人間と同じ存在をもつものを神とよぶ。

 だがそれは教会の神ではない」

 

「あなたが二十年間、

 この国でつかんだものはそれだけですか」

 

「それだけだ」

 

「切支丹が滅びたのはな、

 お前が考えるように禁制のせいでも、

 迫害のせいでもない。

 この国にはな、

 どうしても基督教を受けつけぬ何かがあったのだ。」

 

「パードレは決して余に負けたのではない」

「この日本と申す泥沼に敗れたのだ」

 

「やがてパードレたちが運んだ切支丹は、

 その元から離れて得体の知れぬものとなっていこう」

 

「日本とはこういう国だ。

 どうにもならぬ。なぁ、パードレ」

 

隠れキリシタンは、

キリスト教の神を信じたのではなく、

自分を救ってくれるものを信じた。

そしてその為に死んだ。

 

日本の泥沼で変異した、

キリスト教に沈黙。

沈黙するしかなかったのでは。

 

神の沈黙ではなく、

神を伝えるものの沈黙。

 

信じるとは?

そして日本とは?

 

もう一度、映画館へ。

そしてもう一度、

「最後の誘惑」

最後の誘惑

こちらを。

 

 

沈黙-サイレンス-

マーティン・スコセッシ監督

KADOKAWA