今日も曇り。
一時期の寒さも和らぎ、
過ごしやすい晩秋の佐賀市。
あちらこちらに比べ、
佐賀市内のイチョウが1番きれいに紅葉。
昨日書きましたチブサン古墳。
山鹿の帰りに八女のこちらに。
磐井の乱と呼ばれる、
色々な説があるそうですが、
九州独自の文化圏と、大和朝廷との争いとの説も。
ちらっとかじった程度では、
良く分からない歴史の紐。
個人的には、韓半島そして中国ともつながりの深かった、
九州の実力者と韓半島そして中国とのつながりを深めたかった、
朝廷との争いのような気が。
この乱で戦死(逃亡した説も)筑紫君磐井の墳墓。
造営年度と埋葬者がわかる珍しい古墳と言われているようですが、
発掘は行われていないとの事。
うむむ。
古墳そのものはまさしく小高い山。
木々が生い茂り自然なようで自然ではない不思議な小山。
さらに不思議な空間がここ。
別区。
古墳の東北側に位置する広場的空間。
ここで祭事が行われていたの事。
この一角にはこのような石人や石馬が。
古墳が作られた当初と同じように並べられているとの事ですが、
すべてレプリカ。
今ではきれいに刈り取られた芝生の上に立つ石物。
風化ではなく不完全な形をしていますが、
磐井の乱戦後、
逃亡し見つからない磐井氏に業を煮やした朝廷軍が破壊したとも、
戦勝を祝い朝廷軍が破壊したとも。
全国の装飾古墳の内、半数以上が九州にあるとの事。
韓半島そして中国との距離的近さを考えても、
大陸とのつながりの深かった九州。
大陸との関係が悪化している今、
乗り越えるきっかけは、
先の大戦以前の古代の記憶。
九州の人々に刻まれた。
そんな気が。