さがの日々

佐賀市で暮らす筆者の主に食に関するブログです

船石遺跡

今日は軽い雨。

弱い雨が降り続いた佐賀市

夕方には雨は止み、明日は晴れる予報。

今日の仕事終わりはこちら。

「船石遺跡(ふないし)」

佐賀市の隣、三養基郡上峰町にある支石墓。

支石墓とは、北部九州、中でも佐賀に多い埋葬方式。

地に埋まった死者の上に石を載せた遺構。

縄文時代晩期から弥生時代初頭にかけて、

稲作を伴う渡来文化の影響が考えられているとの事。

この「船石地区」の由来ともなっている「船石」

船石宮天神社境内にまさしく鎮座している巨石。

5mを超える長さ。

写真では草で覆われ土で埋もれ、よく判りませんが、

巨石の下には空間があり(正確にはあった)

前後に大きな石を配置し巨石を支える形。

図にするとこんな形。

さらに境内では、甕棺100基が確認されたとの事。

まさしく巨大墓地。

その後、隣のみやき町、「姫方遺跡(ひめかた)」へ。

こちらは佐賀では珍しく住宅街の中に位置する遺跡。

弥生時代から古墳時代までの複数の遺跡が発掘され、

現在では雌塚・方形周溝墓・環状列石土壙墓が保存。

周り全てが住宅地。

その中に点々と残るフェンスに囲まれた四角い草原。

私が見たかったのは環状列石。

こちらは雌塚に残る支石墓。

奇麗に除草され上面の石はよく分かるものの、

下部は草に覆われよく判らず。

そして「環状列石」

無論こちらもきれいに除草(苦笑)

直径20~50cm程の礫を1メートル幅で環状に配したとの環状列石。

濡れて重なる長い草。

分かるはずもなく・・・・涙

それはともかくこれら支石墓。

お隣の韓半島で多く見られ、大きく北方型と南方型に分かれ分布。

日本には南方型が伝播したと言われているものの、

最近では地下に甕棺を持つ中国浙南石棚墓との関係も指摘され、

北部九州にいかなる人々が渡って来たのか。

非常に興味ある所。


今日想った事。

畿内の遺跡はかなり良い保存状態。

それに比して九州の古代遺跡。

特に装飾古墳に至っては悲しい限り。

このひとつをとっても「九州王朝」

結果畿内政権に負けた王朝はあったのだと確信。

その装飾古墳、装飾壁画の北限が福島県に。

清戸迫横穴(きよとさくおうけつ)

無論、直接見た事はありませんがすばらしい芸術。

【被災地の文化財保護】劣化、盗難に危機感 自治体、所有者費用負担重く

東京電力の大きな仕事のひとつ。

無論、政府も。

文化は「残さなければ」継承されず。


船石遺跡

上峰町大字堤839

0952-52-4934 (上峰町教育委員会文化課 文化係)

無料


姫方遺跡

みやき町大字簑原

0942-96-5534(みやき町観光協会)

無料