さがの日々

佐賀市で暮らす筆者の主に食に関するブログです

古代日本と百済の交流-大宰府・飛鳥そして公州・扶餘

今日は雨。

強弱を付けながら、

弱い雨が降り続いた佐賀市。

 

今日の仕事終わりはこちら。

「九州国立博物館」

 

朝方に仕事が終わり、一路太宰府へ。

元旦より開催れている、


九州国立博物館 | 特別展『古代日本と百済の交流 - 大宰府・飛鳥そして公州・扶餘 - 』

この15日より今回の目玉、実物の国宝七支刀(しちしとう)が展示。

九州国立博物館

あいにくの雨。

開館とほぼ同時刻の10:00前に着いたものの、

既にかなりのお客さん。

平日の午前中、しかも雨。

にもかかわらず。

古代日本と百済の交流

展示室内は無論、撮影不可。

 

第1章「日本と百済の出会い」

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以下、写真は全て九州国立博物館サイトより。

館内最初に展示されている七支刀。

まずは銀色に輝くレプリカ。

その先に、実物。

想像していたより、長く大きな剣。

確かに不思議な形。

実物は2月15日までの期間限定展示。

 

また佐賀が関わる話ながら、

佐賀の人でも殆ど知らない百済、武寧王(ぶねいおう)

その墓誌も展示。

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武寧王墓誌(ぶねいおうぼし) 

3〜5世紀頃の九州周辺に想いを馳せるには、

今の国分けに惑わされる必要はなし。

 

第2章は「大宰府にいきづく百済」

水城・大野城・基肄城1350年事業ホームページ » 水城・大野城・基肄城とは

佐賀県では基肄城(きいじょう)

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九州国立博物館振興財団サイトより

水城城・大野城と並ぶ古代の防衛拠点。

館内でも教科書でも、

「唐・新羅連合軍の侵攻を恐れた大和朝廷が、

 百済の技術で構築した山城」との記述。

館内のホログラフィーでも、

その規模の大きさが良く分かりますが、

だからなおさら、

いくらなんでも白村江での敗戦後、

わずか数年でこんな大きな建築物を作れるはずないだろう。

そんな感想。

 

第3章は「仏がつないだ二つの国」

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如来及び両脇侍立像。

(にょらいおよびりょうきょうじりゅうぞう)

百済で作られ日本に送られたと言われる仏像。

写真で感じるより小さく繊細。

他にも小さな仏像が数体展示されていますが、

小さいながらも重厚な存在感。

滅んだ国を感じさる静けさ。

無信仰な私でも惹かれるものが。

 

また同時開催の「日本発掘展 - 発掘された日本列島2014 -」

佐賀県からは、吉野ヶ里遺跡と東名遺跡(ひがしみょういせき)

特に東名遺跡の網カゴはかなりの存在感ですが、

かなり多く展示されている、

縄文土器の激しさには負けてしまう感。

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平日の午前中、さらに雨と言う状況。

それでも数多くの来館客。

特に4階のいわゆる常設展、文化交流展示室には、

社会見学らしい日本の中学生や小学生、

そして韓国からだと思われる数十名の観光客。

比較的若い方が多い印象。

 

ここ九州を舞台とした古代、百済と倭国の交流。

それを今に伝える博物館に現代、両国の子供達。

百済はすでにありませんが。

 

「国」という枠組み、

そしてそこに生きる人々を、

もう一度しっかり縄文、弥生、古墳時代で学ぶ必要。

 

国が滅ぶと言う事についても。

 

そう改めて。

 

 


古代日本と百済の交流-大宰府・飛鳥そして公州・扶餘

九州国立博物館

平成27年1月1日(木・祝)〜3月1日(日)

一般1400円・高校生1000円・小中学生600円

休館日毎週月曜日