今日は曇り空。
湿った空気が強く吹いた佐賀市。
夜には雨の予報。
そして梅雨入り。
先だっての唐津行き。
帰りにこちらへ。
「鵜殿石仏群 うどのせきぶつぐん」
806年に京都に戻るまでの約1年間北部九州滞在。
そして鵜殿石仏群が最初に空海によって彫られたと言う話が、
文禄3年(1594年)に書かれた鵜殿山平等寺略縁起という古文書に。
さらには空海が彫ったとされる釈迦如来・阿弥陀如来・観音菩薩の3体の仏様は存在しないとの事。
現在確認されている60数体の石仏はいずれも南北朝時代(14世紀)と室町・戦国時代(15世紀~16世紀)
それはともかく。
もともとは洞窟の一番奥だったというこの場所。
洞窟の上には平等寺というお寺。
天正年間(1573〜1592)に佐賀の竜造寺と植松浦党主波多氏との戦いでに焼け、
天井の岩石が落下。
かなりすごい話。
洞窟が崩れる程の戦い。
さらに天井が落下しても残った石仏。
岩壁のあちらこちらに彫られた石仏は圧倒的存在感。
当時は彩色されていたのか、今に残る朱。
見下ろされると何やら不思議。
今に残るその意味は。
今日想った事。
磨崖仏(まがいぶつ)
そう呼ばれる石仏。
大分が有名ですが、
こちらだってなかなか。
さほど有名でない分、
静かに彫られた想いを感じられる空間。
人が創りし神や仏。
人が創ったものが人を救えるとは思えず。
ただそうまでしなければならなかった現実。
それはいつの時代にもあった事。
圧倒的な幸不幸。
その差の意味、理由、根拠。
それをどうしても知りたい。
鵜殿石仏群